「無何有」は、「むかゆう」と読みます。「何か有らむ」で「何かあるだろうか。いやない」という反語となっています。
この言葉は中国古代の荘子という人物の書物に出てきます。荘子はその中で、「人間の作為のない、自然そのまま」という意味合いでこの言葉を用います。
人間の作為、それは自分の思考であったり、社会の常識であったりします。
そういうものをすべてとっぱらってしまうと、人間の作為というフィルターを通して見ていた世界を、今度は自然のあるがままのフィルターで見ることができるのです。
見ている世界は全く同じだけれども、全く見え方が違う世界。無何有(むかゆう)とはそのような世界です。
当院では、人間を自然の一部として考える東洋医学に、この「無何有(むかゆう)」の観点が欠かせないと考えています。
「無何有(むかゆう)」の観点からの施術で、病気のない自然そのままの身体の状態へ。これが「無何有」の名にこめた当院の願いです。